瞎驢行

このブログの内容は全てフィクションです。

父の煙草

 父は常に煙草を咥えていた。咥えるものについては特に何かのこだわりがあるわけではなく、巻煙草でも葉巻でも煙管でも何でも吸った。
 私は好奇心の赴くまま、揺り椅子の上で寝煙草を吸う父の口元から巻煙草を取り上げ、ちょうどよい長さの鉛筆とすり替えたことがある。しばらく後に父は目を覚ましたが、手元の小さな棒きれの異変には気づかないまま、変わらずに咥えては息をつきを繰り返していた。
 父が席を立った後に残された灰皿を覗くと、芯だけがきれいになくなった鉛筆が一本転がっていた。 

遺品の焼却

 私が死んだ三日後、書斎に置かれていた物品は全て庭に持ち出され、父が愛用していたライターによって火を放たれた。庭にぎっしりと積み上げられた万年筆、蔵書、棚、椅子、埃をかぶった使途のよく分からない異国の土産物、色とりどりの封筒の山は、汚らしくくすんだ煙を吐き出しながら三日の間燃え続けた。ようやく全てが灰に帰し、私の所有物だった物の山を長らく彩っていた火が消えると、ほどなくして煙に燻された空から雨が降り始めた。雨は三日間続いた。

遺書

 遺書の内容は、おおよそ以下の内容を多少格式張った様式で書いたものだと思っていただければよい。
・遺産は三人の息子および娘に平等に相続する。
・私の書斎の物品(つまり、遺産を除いた私の所有物の全て)は残らず廃棄すること。この遺言を無視し、金やら思い出やらその他諸々やらの目的でくすねるのは個人の勝手だが、後にいかなる不幸がその身に降り掛かろうと私は一切補償しない。
・蔵の中の物品については後日検討のうえ分配するため、それまでは手を付けないように。

頭蓋骨

 父の頭蓋骨は特徴的な形をしていた。球形の粘土をここに思い浮かべるがよい。横方向から一点に圧力を加え、軽く前後に伸ばしながら成形すればおおよそ求めるべき形となる。
 ヤニで汚れた灰色の脳ミソ(見た目はドブ川に溜まった川底の泥と大差ない)に満たされていた父の頭は、今や真っ二つに分けられ、下半分はリンゴの葉とともにブドウとナシをつっこまれ、上半分はセピア色のインクを波々と注がされ、私の机の上に並んでいる。これらの切断面はどこか靴底に似ており、書斎の小さな窓から父の頭蓋骨がトコトコと歩いて抜け出す情景を、私は暇にかまけて思い浮かべることがある。

祖父

 この老人が祖父であることを私は知らない。
 雨。煙。鉄サビ。2メートル幅の足跡。綿雲。赤いレンガ。蟻。金糸の刺繍。突き刺すようなバイオリンの音。鍵。蝶の羽。銅版画。祖父は常にお仕着せの記号とともに現れる。アトリビュートの槍で周囲を切り裂き、使い回されたモチーフで生臭く焦げ付いた空気の中から、ぬらりと影もなく姿を現すこの老人こそ、偉大にして親愛なる我らが祖父にほかならないことを、私は知らない。

私の死因

 私は2週間ほど前に公園の噴水で溺死した。すっかり人影もなくなった深夜、遺書の入った封筒をベンチの上に置いた後、両腕で3つのレンガをしっかりと胸の前に抱き、巻き寿司のように胸部から胴部にかけてをぐるぐる巻きにして身を投げた。
 翌日の早朝、私は綿菓子のワゴンを引いてきた老人により、頭を垂れた稲穂のような姿勢で発見された。頭を噴水の底に突き立て、腰を前に折り、足は噴水の縁から外に投げ出されている。膝は限界までピンと伸ばされた状態で、今にも逆方向に折れ曲がってしまいそうだ。靴は半ば脱げており、かかとにあたる部分を硬く強ばった親指にひっかけて(その日は靴下を履かずに家を出た)熟れた果実じみた様子でぶらぶらと揺れていた。

蔵の中の骨

 先日、遺品の整理のために蔵の中を覗いた際、小さな白骨が一そろい見つかった。狭苦しい物置の奥からひっぱり出してきた埃まみれの電灯をかかげいつ買ったのかも分からないアンティークのソファの後を覗くと、しゃぶりつくされたかのように綺麗な骨が山をなして床の上に無造作に放り出されていたのだ。
 後に行われた鑑定によると、発見された骨は父のものだった。ずいぶんと昔の話になるが、祖父と幼き頃の父がまとめて蔵に閉じ込められたことがあるらしい。いつ果てるとも知れない飢餓の中で、祖父は耐えきれずに父を食い殺したそうだ。